松岡修造『ザワつく!金曜日』出演。あの情熱はどこから湧いてくる?

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2013年7月14日、金曜日の人気番組『ザワつく!金曜日』に松岡修造さんがゲスト出演されました。オリンピックやWBC、そして、今日から福岡で開幕した世界水泳のリポートなど、さまざまなスポーツイベントのキャスターを務めることが多い松岡修造さんですが、あの熱血ぶりはどこから来るのでしょうか?

松岡修造さん プロフィール

赤ちゃんの時から大きかった

1967年11月6日生まれ、現在55歳。出生時の体重はなんと4000g‼生まれたときから存在感がありますね。現在の身長は188㎝、体重は85㎏。

テニスの功績

10歳からテニスを始め、中学2年生のときに全国中学生テニス選手権大会で優勝、高校生のときには、高校総体でシングル・ダブルス・団体で3冠を達成しました。その後、高校を中退し、単身アメリカへわたり、1986年にプロに転向しています。88年には世界のトップ100位の壁を破り、トッププロの仲間入りを果たしました。ATPの世界最高ランキングでは、シングルス46位、ダブルス95位。1995年にはウインブルドン選手権男子シングルスで、日本人男子としては62年ぶりにグランドスラムベスト8に進出しました。

今でこそ、錦織圭選手や大坂直美選手などを始めとする多くの日本人選手が、世界で活躍されていますが、当時は日本のテニスは世界の選手となかなか互角に戦うことができず苦戦しているなか、その突破口となったのが、松岡修造さんの活躍だと思います。

華麗なる家系 

親族は実業家や政治家

松岡修造さんの父親は、東宝第11代目社長の松岡功氏、母親は宝塚歌劇団の星組男役のスターであった千波静氏との次男として生まれました。父方の曽祖父は阪急電鉄や宝塚歌劇団などの阪急東宝グループ創始者の小林一三氏をはじめ、親族には松岡汽船の創業者や後楽園スタジアムの社長などの実業家、衆議院議員、総理府総務長官のどを歴任した政治家、母方の親族は辻調理専門学校の校長、元三菱商事社長、元サントリー社長、阪急ホールディングス取締役など蒼々たる実業家が揃っています。

現在の家族

松岡修造さんは1998年にアナウンサーだった田口恵美子さんと結婚されています。3人の子宝にめぐまれ、長女の恵さんは、2017年に宝塚音楽学校へ入学したことがニュースになりましたね。他に長男と次女もそれぞれご活躍されているようです。

良く言えば、大人になっても天真爛漫、悪く言えば自己中心的な松岡修造さんですが、家でもあの調子であれば、ご家族は疲れることもあるでしょうね。

子どものときは問題児だった?

テニスをはじめたキッカケ

松岡修造さんは、三歳上のお姉さんがテニスをしていたことで興味を持ち、一歳年上の兄とテニスを始めますが、練習よりもいたずらをして回るような少年でだったようです。

実はおぼっちゃま

松岡修造さんは慶應義塾幼稚舎、慶応義塾中等部で過ごしています。やはり、政治家や実業家のご子息という感じがしますね。脱線しますが嵐の櫻井翔さんもそうですよね。

小さい時から自由奔放

ただ、幼稚舎や中等部のときは、授業中の話は聞かず宿題もやらないことから、保護者も学校に呼び出しを受け、注意を受けるお子さんだったようです。逆にお兄さんは、テニスの体格にも恵まれ、礼儀正しくセンスがある。学業においては、本を読むのが大好きで勉強は良くできる少年で、松岡修造さんとは対照的だったようです。

修造、本格的にテニスの道へ

中学生で麻雀にハマる

中学3年生のとき、麻雀にのめり込み遊びほうけていました。ある時、「このままでいいのか?」と気づき、大学へ進学することを条件に、なんとか両親を説得し、これまでいた慶応義塾高校から、スパルタ教育で有名だったテニスの名門柳川高校へ転校します。これには学校の先生からも留年を恐れて転校を決めたのかと思われてたようです。

柳川高校時代

厳しい練習の中にもテニスが上達しくことに楽しさを見いだし、メキメキ上達していきました。高校総体の団体戦で優勝したときは、仲間との連帯感に感動し喜びを分かち合いました。翌年、世界に通用する若手を育てるという目的で開催されている「ウインブルドンへの道」という大会で優勝し、学校を休学しヨーロッパ遠征へいく決断をします。全仏オープンジュニアでは3回戦まで進出するなどの実績を残しました。

その年も高校総体と日程が重なってしまいましたが、昨年は総体を優先したこともあり、自分の可能性を確かめるためにも、ヨーロッパ遠征にチャレンジしたかったのでしょうね。

アメリカへ渡りプロに転向する

フランスから東京に戻り、昔の仲間とテニスの練習をする日々。世界的な名コーチとして知られているボブ・ブレッドから才能を評価され、アメリカへ渡りました。

母親の反対

母親は高校も卒業していないこと、大学を卒業してからにして欲しいとの思いがあったようですが、父親は、そんな息子の決断をすぐに認めてくれたという。

実父もテニスプレーヤーだった

松岡修造さんの父親もかつてはテニス選手であり、大学に在学中に全日本学生テニス選手権でシングルス優勝した腕前の持ち主であることがわかっています。稼業を継ぐため、大学卒業後はテニスとの関わりを断ってしまった過去があり、テニスに向かう子どもの気持ちを応援したかったのかも知れません。ね。

英語がわからず苦労したハイスクール

アメリカでの生活は言葉の壁に当たりながらも、何とかハイスクールを卒業し、大学への進学を検討していた時、プロの大会への参加をすすめられ勝ち進むことができ、プロへ転向することを決意しました。

プロになってからの生活

お金がない

プロに転向してからは、父親からの金銭的な援助がなくなってしまったため、金銭面で苦労することが幾度もあった。また、アジアからやってきた無名の選手には、誰も練習相手になってくれないだけでなく、話すことさえ、拒絶されることもあったという。それでも、練習相手が見つかったときは、自分が評価され、次の練習相手の依頼が来るようにと、常に全力で取り組んだという。そんな努力の積み重ねが、他の選手にも認められ、本人の実力にもなっていったのでしょう。

そして、日本を代表するテニスプレーヤーになっていったのですね。

まとめ

松岡修造さんのは、高校生から、自分の進むべき道は、どんなに回りから反対されても、説得し自分の道を貫いてきました。それと同時に結果を残してきました。きっとそれは、自分を信じ、誰よりも努力をしてきたからでしょう。自分を自分で励まし、自分を奮い立たせてきた。

今回の番組のなかでも言っていましたが、自分を超える。自分のこと以上に一緒にプレーしている感覚で全力で応援する。いつも全力投球なんでしょうね!それが、松岡修造さんの熱さなのではないでしょうか。

あんなに全力で応援されたら、すごく頑張れるような気がします‼

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